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マーマレードを塗ったくり、なんの役にもたたぬことを考えつき続けている


by shimamelon
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再訳がでていたのはこういうわけか

カニグズバーグの検索から面白いページに

カニグズバーグをめぐる冒険

カニグズバーグの本のいくつかは、訳しなおされたものがでている。
図書館では、大きい本と小さい本が並んでおり、私はうっかりサイズの違いかと思っていたが、小さい本の方が「訳しなおし」というようなコメントがあったので、普通にその新しい方を読んでいたのだ。

以前の方は、誤訳がたんまりあり、また文章が変だったのだ。
へー。でもそっちも読もうとはあえて思わんが。

米原万理は日本の大学における「言語学」と「文学」の隔たりに戸惑いを隠さない、批判・警鐘に近い。辞書の用例に文学からの引用がないこと、また、言語学を専攻する学生が本を読まないことがあることにたいして、文学と言語の乖離はありえようか(いやない)と。
「児童用の本」で、子供への配慮という視点からか性的な部分や差別的な表現を端折ったりすることは、私も望ましくないと思う。何様か、と。性も差別も避けて通れない現実なのに。
私が米原万理に傾倒しすぎているのは自覚しているけども、まぁそれはそれとして。

私は本を読むのが好きだ。ザツな読み手だが、何度お話に助けられてきたかわからない。
しかし、ある時思ったのだ、お話ばかり読んでていいんだろうか?とね。
評論文とか、ルポとかも読んだほうがいいんじゃないだろうか、と。
そして、10代おわりからよみはじめたわけだけど、やはり脳の使い方が違うなぁ、訓練がいるなぁとちょっと苦労したのを覚えている。
しかるにある日、気がついたんだけども、評論もルポも結局書き手の主観なくして成り立たない、ということは、ある意味その取材をとおしてのお話であるわけだ。ということで、創作だろうが現実だろうが、それを伝える際には「お話」が必要なわけだな、と。
こういうことを気づくのも、結局、たくさん読んだ基礎があるからだろうと思っている。
ザツだけど。
繰り返すのはなぜか、本当にザツだから。
ザツだけど、本を読む習慣には感謝している。

翻訳って、お話を伝える仕事なわけだし、言葉も常にそろえておかねばならんのは、「翻訳夜話」でもあるとおり。
まだまだ、カニグズバーグ作品には改訂が必要なものもある、らしい。サイトの持ち主によると。
応援したいですね。是非、英語で読むというようなことさせないでください。大変だから。
by shimamelon | 2007-10-10 21:39 | 部員日誌